平治の乱で父・義朝が敗死したことにより鞍馬寺へ預けられ、のちに奥州平泉の藤原秀衡の庇護を受ける。
兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げると馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼす最大の功労者となった。
しかし、許可を得ることなく官位を受けたことや、戦いにおける独断専行などによって頼朝の怒りを買い朝敵となると、再び平泉を頼るも秀衡の死を受けて跡を継いだ泰衡に攻められ衣川館で自刃。
―――源義経、享年31
その生い立ちや牛若丸・弁慶伝説、華々しい戦績から一転自害に至る最期は、人々の同情を集め“悲劇の英雄”として定着。
これが『判官びいき』の由来になるとともに、滅びゆく者への愛惜の情が数々の伝説や物
語を生み出しました。 ※判官とは、義経に与えられた官職・左衛門尉の通称
その一つが、平泉から北へ逃げのび蝦夷地(北海道)でアイヌの王になったとか、さらに
は中国大陸に渡ってチンギス・カンになったとする不死伝説。
そもそも『判官びいき』自体が客観性を欠いた心情とはいえ、日本人は今も昔も「弱者や
敗者に同情し声援する心理」を本能的に抱いているようです。
実は私も知らず知らずのうちに、いろいろな場面で『判官びいき』しているんですよね!
あなたはどうですか?