決起のとき、なに思う・・ 

羽柴(豊臣)秀吉に加勢するため毛利攻めに向かった明智光秀が、突如敵は本能寺にありと主

君・織田信長を討ったのが1582(天正10)年6月2日。


その数日前のこと。

光秀が戦勝祈願のため愛宕権現へ参詣したあと、連歌会で詠んだ句の一つが『時は今 雨が下しる

五月哉』。

「時」は自身の出身である「土岐」、「雨が下しる」は「天が下知る」――すなわち、この句は「土

岐氏の一族である光秀がまさに今、天下を治める五月になった」と解釈されています。

そもそも清和源氏・美濃土岐氏の流れを汲むとされ室町幕府再興を願った光秀に対し、幕府を倒し

た信長は自ら平氏を名乗っていました。

そこには個人的な野望や私憤はなく、繰り返されてきた源平交代思想にもとづく天下安定を望んだ

光秀の思いが詠み込まれていたのかもしれません。


「本能寺の変」からわずか11日後、光秀は中国大返しの秀吉に山崎・天王山の戦いで敗れ、落ち

武者狩りで命を落としたのは周知の事実。主殺し・謀反人という汚名を着せられたままで・・。


 決起のとき、光秀がなにを思ったのか真実はわかりません。が、こうした歴史の内側を垣間見るこ

とで、真の人物像が浮びあがってくることもあるでしょう!

 光秀を主人公にした2年後の大河ドラマが楽しみです。


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